芝浦機械 モノづくりの原点 第5話
ふたたび、
力をあわせて。
1949年3月、沼津工場を母体に独立して株式会社芝浦機械製作所が設立。
同年4月、鶴見工場を母体に独立して芝浦工機株式会社が設立。
わたしたちは工場ごとに分断され、別々の道を歩んだ歴史があります。
それぞれの工場の特徴を活かした事業の拡大によって、市場の変化に対応。
その努力によって、現在の主力6事業のうちの4事業がすでに
1950年代には存在していました。
「芝浦」全体としては幅広い事業を行っていましたが、
会社としては別々の存在。
同じ「芝浦」の名を分けた兄弟ではありましたが、
情報共有すらままならない状況だったと推測されます。
その分断の重さは、創業メンバーのひとりであり、その熱い指導力で
ホブ盤委員会をけん引した藤島亀太郎にも解決できませんでした。
一時期は両社の社長を兼任し、
各事業の相乗効果の発揮を目指してその距離を近づけていきましたが、
合併は実らず、社長の職も辞任することに。
2社がふたたび合流することができたのは、
そこからさらに6年の月日が流れた後でした。
「芝浦」の名の下にふたたび結集された力は、
現在にも脈々と受け継がれています。
長い時間をかけて実現されてきた道筋に想いを馳せると、
いまわたしたちの持つ力をさらに高めて、広げていく使命を強く感じます。
各事業で最高の成果を目指すだけでなく、
事業を超えた相乗効果によってお客様の価値を最大化していくこと。
それはひとりひとりに根差している「芝浦」のモノづくり精神を、
掛け合わせていくことなのだと考えています。